天津愛
作家・デザイナー
自己紹介
いつも作品を手にとっていただき、ありがとうございます。
幼少期より、祖父が学校で美術を教えていたことから、絵や美術品といった美しいものが身近にあり、育ちました。作品以外にも、普段自然の中に咲くお花や空や海を見て感動し、思わず写真を撮ることもあります。
ご朱印として、また誕生日カードなどの作品を制作することで、より身近に癒しや明るい色がある、見て元気になる作品を心がけています。また、見てほっとする素朴な作品を制作しています。
生い立ち
幼少期
幼稚園や小学校に馴染めず、自宅学習が中心でした。
集団行動が苦手、人間関係が苦手でした。
そのため、空いた時間は自宅で読書をしたり、四コマ漫画や文章を書いていました。家庭環境が不安定で、精神的に不安にならないよう、沢山のぬいぐるみを集めていました。
中学校
中学校では部活動の見学がありました。憧れた器械体操部に体験入部に行きましたが、でんぐり返ししかできず、断念しました。その途中でふらりと立ち寄った創作部に入り、放課後が楽しくなり、学校にしっかり行くようになりました。そこでは、様々な個性を肯定する、自由に自分の世界を描ける、そういう環境がありました。立体作品や、様々な画材について教わりました。
高校
高校生になると、メイクやファッションが楽しくなり、毎日充実していました。勉強より気づいたら、ファーストフード店でのアルバイトや友人と放課後遊ぶことが楽しくなりました。理数系はまったくできず、放課後に居残り勉強で泣いていましたが、働くことが楽しくなり、お客様に喜ばれる、アルバイト先に行くと、楽しい仲間がいる、そういう体験から、大学は行かずに化粧品会社に就職しました。
社会人
その後1年たち、美容について更に深く学びたいと思い、1年程エステの専門学校に行きました。やはり、美しくなりたい、美しいものが好き、そういう想いは強かったと思います。自分のことが好きではない、肌荒れやコンプレックスを克服したい、そう思っていました。その後、いくつかの会社で様々な働き方や職種を経験しました。管理職も楽しかったですが、18歳くらいから自分らしく生きたい、好きな仕事を創りたいと思っていました。しかし20代は中々見つからず、時が過ぎていきました。自己肯定感がとても低く、再び精神的に不安定になっていました。朝7時の満員電車、夜は遅い時は11時半まで職場にいる。そんな生活をしていましたが、充実感はありました。
絵との再会
20代の終わりに、ショックなことがあり自宅に引きこもる時期がありましたが、ふとしたことから絵との再会がありました。久々に触れたパステルには、懐かしさがあり、変わらずワクワク感がありました。夢中で放課後に制作した時間を思い出して、再び絵を習い始めました。その中で、デッサンはできないが、カラフルな色を塗ることは得意、そう気づきました。その頃、感染症の拡大により、在宅する時間が長くなり、一日中夢中で制作しました。アマビエという疫病の神様が世の中に知られるようになり、とても可愛い、ブームが終わってもアマビエという文化を残したいと思い始めました。アマビエちゃんがいると、いつもほっとして、希望を見いだせることにも気づきました。キラキラした目は、笑っていませんが、どんな困難でも乗り越える、泣いても立ち上がる、そんな気持ちでありたいという、作者そのものではないかと思うようになりました。これからも、作品を見たかたが笑顔になるよう、また、愛が届くよう制作を続けたいと思います。